無知の知の意味とは?生まれるきっかけやソクラテスが最期まで徹底したこと!




「無知の知」とは哲学者・ソクラテスの唱えた1つの「生き様」のようなものです。

 

<無知の知が生まれるきっかけとなったソフィストたち>

紀元前およそ450年ごろ、現在のギリシアにアテナイという街がありました。この街は文化の中心地であり、哲学の中心地でもありました。時は過ぎ、ギリシアのいたるところからこのアテナイに多くの人々がやってきました。彼らの中には牧師や教師もいて、彼らは「ソフィスト」を名乗りました。「学識のある人々」という意味です。ソフィストたちは自分たちのことを学術的に偉い存在だと決め、それで生計を立てる者も多かったのです。彼らは説得術や弁論術を唱え、人間中心の哲学を語り歩きました。

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<ソクラテスと無知の知>

そのソフィストたちと同時代に生まれたのがソクラテスです。ソクラテスは対話の相手に質問を投げかけ、相手から答えを導き出すという対話術を行っていました。つまり、自分1人だけでは答えは見いだせないけれども、他者と対話をすることで、他者の助けやヒントが与えられ、それによって答えに近づけるという考え方です。ソクラテスは自分たちが偉いと決め込んでいるソフィストたちとは異なり、自分は何も知らない、他者の助けによって正解に近づける、だからこそもっと世界のことを知りたいと望む存在だったのです。ソクラテスは「最も賢い人間は、自分が何も知らないことが分かっている人間のことだ」と言い、「自分が何も知らないことを自覚しているだけ、私はソフィストたちよりは人間的に優れている」ことを公言したのです。これが有名な「無知の知」です。

 

ソクラテスはその「無知の知」をアテナイ市民たちに教え説くことを徹底しました。そして自分自身でもこの「無知の知」の生き方を徹底するために、他者から学問を理由にした報酬は受け取らず、ただひらすら放浪の旅を続けていたということです。自分は何も知らず、無知なのだから、他人から知識を売ることで商売をすることなどできないという一貫した姿勢だったのです。自分が言った言説を、自分の行動により証明しようとしたソクラテスの「知への誠実さ」が伺えます。これに対して、学問で生計を立てていたソフィストたちが怒り狂ったのは言うまでもありません。

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<ソクラテスが最期まで徹底した「無知の知」>

そんな中、ある時、デルフォイの神託所というところで、アテナイで誰が一番賢いかという伺いを立てると、神託は「ソクラテス」と明言しました。それを確かめるために、ソクラテスは次々と賢者たちと対話を行いましたが、誰もソクラテスにはかなわなかったそうです。それが妬まれ、公開裁判にかけられ、処刑されます。この際にも、ソクラテスは自分の哲学が間違っていないと信じ、そう思うのであれば、処刑も受け入れるという「哲学」の道を貫いた人でした。そのソクラテスの哲学の中心にあったのが「自分が何も知らないことを自覚している」という無知の知だったのは言うまでもありません。

 

<ソクラテスの「無知の知」から学べること>

翻って、現代の世の中はどうでしょうか? 自身の権益を増強させようとする研究者ばかりが多く、ソクラテスが現代の世の中を見たら、「もっと無知の知を自覚しなさい」と静かに促してくるのではないでしょうか? ソクラテスの「無知の知」とは単純に言えば、「謙虚であれ」ということです。謙虚になって、色々なことに好奇心を持ち、貪欲に学んでいけという「生き方」を私たちに示してくれているのです。自分が何でも知っているという錯覚に陥り、自分が優れた人材だと思い込めば、人間的な成長は止まってしまいます。ソクラテスは私たちに「死ぬまで成長を辞めるな」ということを伝えてくれているのかもしれません。常に周りに感謝の気持ちを忘れず、謙虚な気持ちで生活していくこと……これこそがソクラテスの「無知の知」から私たちが学ぶべき一番のことです。現代の世界で、ソクラテスの「無知の知」という生き様は大いに私たちに勇気や感動を与えてくれるのではないでしょうか?

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