ソクラテスの名言「悪法も法」わかりやすく解説!法に従って死を受け入れたわけとは?




「悪法も法」という言葉をご存知でしょうか。

これは古代ギリシアの哲学者、ソクラテスが死刑になった時に言ったとされている言葉です。

これ以外にも『悪法もまた法なり』と言われることもあります。ことわざとして言われることもあるので、もしかしたら言葉だけは聞いたことがある人も多いかもしれませんね。ではどういう意味なのでしょうか。

今回は、悪法も法なりについて解説してます!

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悪法も法なりとは?

まずはその意味を知る前に、この言葉が言われた背景を軽く説明していきましょう。
当時、ソクラテスには多くの支持者がいました。

ですがその反面、多くの人に憎まれる敵の多い存在でもありました。ある日ソクラテスはその敵側の人々から「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」として公開裁判にかけられてしまいます。そして有罪と言われ死刑を求められるまでになってしまいます。そんな中でもソクラテスは自説を曲げたり、自身の好意を謝罪することをしませんでした。

そして二回の票決の結果、大多数で死刑が決まってしまうのです。当時は死刑執行方法に毒が使われていました。そして死刑が決まったソクラテスは『悪法も法なり』と言い残したとされています。これらのことは、弟子であるプラトンの書いた「ソクラテスの弁明」に詳しく書いてあるとされています。
それでは「悪法も法」の話に戻りましょう。

悪法も法、これは『悪法であっても、法である以上は従わなければいけない』という意味であると考えられています。実はソクラテスが死刑が決まった時こんな話があったとされています。実は賄賂を渡せば簡単に脱獄することができた、という話。弟子、プラトンからも逃亡を進言されていました。それでもソクラテスは逃亡を選ばず、死刑を選んだわけです。どうしてソクラテスは死刑を選んだのでしょうか。

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知徳合一とは?

ソクラテスの考え方に『知徳合一』というものがあります。

ソクラテスは『徳』を人間としての善と考えていました。そして善を重ねることで魂をより良くするという考えを持っていました。

でも善を重ねるためにはまず、何が善で何が悪なのか、それを考えるための「知」つまり知識が必要になります。知識がなければ善を重ねることはできません。先ほども言いましたがソクラテスにとって、人間の善と徳は同じことです。ならば徳も、知識がなければうまれません。つまり徳は知と同じであるという考えから知徳合一という言葉ができたとされています。
ソクラテスはとても頭のいい人でした。数々の格言を残し、現在もこうして言い伝えられているのですから納得ですよね。そんなソクラテスに賄賂を渡して逃亡するということができたでしょうか。誰も傷つけてはいないとしてもこれは立派な不正です。善であるとはとても考えられません。善を重ねれば魂は良くなる。その考え方を持っていたソクラテスにとって、この不正はどうしてもしたくなかったのではないでしょうか。もしそれを覆し、現状から脱する方法がもう悪しかないのなら、死を受け入れる。それがどんなに納得いかなくても、法として従わなくてはならないなら受け入れるしかない。ソクラテスはそう思って『悪法も法』と言い残したのかもしれません。いくら自分が悪くなくても、その状況を脱するために不正を犯してしまったら、相手の思うつぼ。不正を行うくらいなら自身の魂のために状況を受け入れてしまうほうがいい。ソクラテスはそう伝えたかったのかもしれません。
ソクラテスの考え方はかなり複雑です。この『悪法も法』にも複数の考え方があるのかもしれません。理解するまで時間がかかるかもしれませんが、何度も読み返しソクラテスの思想を感じてみましょう!

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