「ソクラテスの弁明」あらすじの概要と要旨紹介!どんな哲学論??




古代ギリシアの哲学者であるプラトンの著書「ソクラテスの弁明」は、西洋哲学史における源流となる思想である。

プラトン自身としては初期の対話篇となる。


「ソクラテスの弁明」

ソクラテスの弁明のあらすじについて紹介したいと思います。

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ソクラテスの弁明のあらすじ

あらすじとしては、主人公のソクラテスに死刑判決を下した裁判の概要や、裁判等で展開されるソクラテス自身の言動が描写され、ソクラテスの展開する哲学者としての人生訓やそこに至る経緯と思想を細かな時代描写を交えて記述されている。
対話篇として発せられるソクラテスの告発と対抗弁論は、ソクラテスに対する告発を真っ向から反論する事に始まる。
ソクラテスは試問を説き、デルポイの信託に反駁する問答から始まる。多くの賢者と対話する中で、ソクラテスは「真の知を持たず、従って知者ではない」と言う事を「知っている自分」はそれだけで賢いという、俗に言う「無知の知」を発見するに至る。

アテナイの民衆裁判において、被告人が有罪か否かの審議において、量刑が下されるがソクラテスは有罪を言い渡される。告発者のアニュトスは死刑を求刑するが、ソクラテスはこれに対し、自分の行っている事は魂の世話を皆に促すための最も大切なことであり、自身の国家への忠誠と胞子を唱えたのである。

ソクラテスの死刑判決は避けられたのかも知れないが、まだ知らぬ「死」に対する探求心やある種の「美」意識は、「無知の知」に集約され、そして、「死とは何か」と言う究極的な(ひょっとすると「福」なのではないだろうか)問いと、探求せねばならないテーマにぶつかるのである。

裁判の場面において、ソクラテスに有罪を与えた者達には忠告を促し、無罪を投票した人達にはソクラテスの持つ死生観を語るのである。

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■裁判と質疑

ソクラテスを告発したものは素晴らしい弁論に終始したが、その内容は真実が無く、ソクラテス自身の演説の下手さと裁判に不慣れな事等が露呈。

見聞を流す大衆と裁判の告発者との区別。

「不正・無益な事に従事し、地下天上の事実の究明と悪事を歪曲し善事とすり替え、他人に教え諭す事」が意味のない事であると訴える。

ソクラテスが他社と比べて最も賢いと言われる。賢者と政治家との対話を通じ、相手の無知と自身の無知を自覚するようになる。

世評ある人達の自惚れを見るにつけ、世評をわきまえた謙虚な人こそ知智賢に優れていたとする。

手工芸者を訪ね、熟練した技芸の分野では優れた人間であったが、歴訪を終え、ソクラテスは自身の立ち位置として「あるがまま」が良いのか、「知恵と愚昧を併せ持つ」のが良いのか迷い、あるがままの自身を受け入れた。

メレトスとの質疑応答の中で、青年を腐敗させる件から熱弁をふるう。メレトスへの尋問が開始されると、ソクラテス自身への青年の関心度や無自覚的ではない「故意」に青年を腐敗させた愚者となる。メレトスの嘘と、ソクラテスへの不当な処罰・裁判へと導く状況を作り出した。

■弁論と死生観

メレトスとの青年腐敗に関するやり取りで、ソクラテスは無神論者として訴えられ、メレトスの主張「ソクラテスは罪人」であるとの論争になる。

最終弁論では、ソクラテスを弾劾しているのはメレトスではなく、大衆の誹謗であると定めた。自身が従軍した持ち場を固守する事と、愛智者として他車を吟味する立場は、「死」を恐れて持ち場を離れてはいけないし、放棄してもいけない。そうすれば神託の拒否、賢人としての装い、神への不信罪を生み、今回の放免と引き換え、姿勢変更を余儀なくされたとは言え、自身は神に仕える立場を貫く事。これこそが、神への奉仕より勝る幸福。とソクラテスは意志を貫いた。

大衆がソクラテスを死刑にする事は、ソクラテス自身からすれば正義に反する大禍に比べれば大した事は無く、むしろ、大衆の為にソクラテスの様な賢人が失われる事が大きな損失であると知らしめた。

量刑について、ソクラテスの有罪は予想通りの展開であり、死刑を受け入れた。高齢で死に近きソクラテスには、後悔はなく思考として「死を免れるより悪を免れる方がはるかに困難である」として、尚一層の思慮を深めて行った。

また、「死」は一種の幸福であると言う考えを持ち「純然たる虚無への回帰」「生まれ変わり、あの世への霊魂移転」とし「死」への定義を新たにするのである。

■無知の知

ソクラテスの友人であるカイレフォンは、デルフォイ神に問うた。
「即ち彼は、私以上の賢者があるか、と伺いを立てたのである。ところがデルフォイの神は、私以上の賢者は一人もいないと答えた。」

この問いは、ソクラテスが一番賢いと言う事を意味しているのだが、ソクラテスはその事実に対して疑問を持ち、あらゆる分野の賢者に回答を求めた。

ソクラテスは、ある結論を導き出す。様々な知識を持ち合わせていて弁が立つ人が必ずしも頭が良いとは限らない。と言う事であり、周囲から頭が良いと評されるソクラテスは、自身の資質自体に問いかけをしたのである。例えば、善や美に対する見識も同じくで、「良く知っている事」「知識がある事」の裏側にある気持ちとして「もっと知りたい」と言う貪欲さや知識欲を失っているとし、そうした気持ちが慢心へと繋がる事の恐ろしさを体感したのである。

そこから導き出されたのは「自分自身は何も知らない」を自覚し、認識して様々な事に興味を持ち、学ばなければならないのだと。「知らない事」を発見した点である。俗に言う「無知の知」である。
これは、知への探求心と「知っている」と言う事から生じる怠惰への懺悔であり、自己探求心への冒涜でもある。

 

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