ソクラテスの生き方と思想~プラトン、アリストテレスの偉大な師とは?




西洋哲学の祖と言われるソクラテスは、紀元前4世紀の古代ギリシアに生きた哲学者です。

残念ながら自身で書いた書物は残しませんでしたが、ソクラテスの死後に、彼の弟子たちによって、ソクラテスの思想や人生が現代に述べ伝えられてきました。

彼の弟子たちの中には、かの有名な哲学者であるプラトンやアリストテレス、クセノポンなどがいます。

彼らは、ソクラテスの後を継ぎ、西洋哲学の歴史を織りなして発展させていきました。とは言いましても、ソクラテスは死後の世界については分からない、「不可知論」という立場を取り、プラトンは人間の魂は輪廻すると説きましたので、ソクラテスと弟子たちとの思想には大きな違いがあることは知っておかなければなりません。

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弟子プラトンやアリストテレスが伝えたソクラテスの生き方とは?

弟子たちの伝えたソクラテスの生き方を見てみると、彼の生き方の背景には確固たる哲学思想が流れていることが読み取れます。
ソクラテスは、この世には人類全てに通用する普遍的な真理があり、絶対的な善が存在するはずだと考えていました。そして、人間が幸せになるためには、それらを追及し続けなければならないし、生きていくうえで哲学しなければならないと考えていました。

そして、哲学をすることは、「死の予行演習だ」と説きました。ソクラテスは、人間の生を幸福にするためには何をすべきかと一生のあいだ自問をし続け、人間はただ生きるだけではいけないし、それでは幸福にはなれないと考えました。そして、人間らしく幸福に生きるためには、善悪を分けた上で善く生きなければならない、すなわち正しく生きなければないのだと考えました。
ソクラテスとは対照的な考えを持っていたソフィストたち(古代ギリシアの時代に、弁論術・法律・政治などを、民衆からお金をもらい教え説いていた教師たち)は、相対主義者と呼ばれ、彼らはこの世に絶対的なものなどなく、時代や状況によりこの世の価値観や善悪は変化するはずだと考えていました。
当時では画期的な考えを持っていたソクラテスは、権力者であるソフィストたちや政治家たちと思想が異なることで疎まれていました。言論では彼らを圧倒していましたが、理由もなく捕えられ、最後には死刑に処される場で、毒により自害してしまいます。死刑になる前に、獄から出るチャンスが何度もあったようですが、逃げることは自分の思想を捨てることだと考えました。自分自身の思想を曲げる気がないことを、身をもって表明するために、最後まで逃げることはありませんでした。獄に閉じ込められて死を前にしても、人々の幸福を追求するために哲学者としての生を全うしたのです。

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問答法の心理

ソクラテスはその生涯を、ソフィストたちのような相対主義者に反論し、「問答法」による真理の探求に捧げました。「問答法」とは、会話する相手の発言の中の文脈や単語の意味を延々と質問し返し続ける方法です。そうすることによって、この世の真理に近づけると言いました。その方法は自分ではなく、ソクラテスと会話をする相手が知識を作り出すことを助けるという意味で「産婆術」とも呼ばれています。実際にこの「問答法」を行っても、会話に終着地点がなく論が行き詰るのですが、彼はこれを行うことで人間は無知だということを悟ることができると考えていました。これを「無知の知」と言い、そこから全てを始めればいいじゃないかと人々に諭しました。
これらの問答の始まりは、ソクラテスの弟子が「ソクラテスより賢いものはいない」という神の言を、古代ギリシアの神託所で巫女より聞いて彼に伝えたことにより、それに納得できなかったため、神の言に反証するために当時の世間で賢いと言われていた政治家や詩人たち相手に問答を始めたことでした。
ソクラテスの名言である「最大の賢者とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚する者である」は、この問答法から生まれたのでしょう。

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